蓮光寺の宗派

当山は、真言宗智山派に属しています。
総本山は、京都東山七条にある智積院(ちしゃくいん)です。

真言宗智山派の寺院は全国に約3,000ヵ寺ありますが、初詣等で全国的に大変有名な成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院(いずれも大本山)、高幡山金剛寺(高幡不動)、大須観音寶生院(いずれも別格本山)なども智山派の所属です。

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真言宗は、平安時代に弘法大師空海(以下、お大師さま)によって立教開宗されました。その教えは、この身このままで仏さまとなることを説いた「即身成仏」です。私たちは仏性といって、生まれながらに仏さまになる性質を備えています。しかし、そのことに気づかずに日々生活をしています。そこで、私たちの活動の根本である身(身体)・口(言葉)・意(心)を仏さまと一体にすることで、たちどころに仏さまになれると説きます。真言宗の僧侶は、手に印を結び、口に真言を唱え、観想を行います。真言宗は、密教(秘密仏教)とも称されます。秘密仏教の秘密とは、内容が高度すぎて判らないという意味です。ですから真言宗では、「真似をする=仏さまになりきる」という行為がとても重要になります。

さて、お大師さまは時の天皇の帰依を受け教王護国寺(東寺)を賜りましたが、万民のための道場を築きたいという思いから高野山に金剛峯寺を建立し、真言宗は大いに隆盛を極めました。お大師さまの入定後300年を経て、覚鑁という僧侶が現れ、当寺荒廃してしまっていた高野山を再建し、真言宗を再興しようと考えました。ところが、一連の改革が保守派僧侶の反感を買うこととなり、覚鑁上人を襲撃する事態となったため、覚鑁上人は弟子とともに紀州根来に難を逃れ、根来寺を開きました。覚鑁上人の滅後、強大な勢力を持った根来寺は、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、根来寺の学問的リーダーであった玄宥(げんゆう)と専譽は弟子を連れて一時高野山へと逃げました。

その後専譽は、豊臣秀長に招かれて奈良長谷寺に、玄宥は徳川家康の援助を受けて、京都東山の祥雲禅寺に移りました。祥雲禅寺は後に根来寺の塔頭であった智積院にちなみ、五百仏頂山根来寺智積院とその名を改めています。祥雲禅寺は、豊臣秀吉の側室、淀殿との間に生まれ、三歳でこの世を去った鶴松(棄丸)の菩提を弔うために建立された寺ですから、その巡り合わせに驚きを禁じ得ません。

そして、奈良長谷寺は真言宗豊山派、智積院は真言宗智山派の総本山としてそれぞれ目覚ましい復興を遂げ今に至っています。

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