蓮光寺について

真言宗智山派 医王山福聚院 蓮光寺(いおうざんふくじゅいん れんこうじ)

通称 新座薬師 蓮光寺

今からおよそ600年前、南北朝時代の明徳3年(1392年)に法印重元(ちょうげん)和尚によって開山されました。
残念ながらこの地に寺を建立した理由などは明らかではありませんが、江戸時代に幕府が編纂した『新編武蔵風土記稿』には次のような記述が見られます。

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「開山像 座像長一尺八寸、九寸ハカリ、面相威望アリテ畏敬スヘキノ容ナリ、側ニ位牌アリ、開山法印重元、應永七年七月十二日ト面ニ刻シ、裏ニ明徳三年開寺、生国遠州人也ト刻ス。此位牌ハイト古キ者ト見ヘテ、潤飾モミナ剥落シ、殊勝ノモノナリ、其余開山ノ事実尋ヌルニ由シナシ」

「境内五反、(辻)村ノ北方、原ヶ谷(戸)村ノ境ニアリ、新義真言宗豊島郡石神井村、三宝寺末ナリ、醫王山ト号ス。(中略)当寺ハ昔村内、氷川明神ノ別当ニテ寺モ彼ノ社地ニ有リシガ、何時ノ頃ニカ今ノ地ニ移リ、別当職ヲモ原ヶ谷(戸)村、円光院ニ譲リシト言イ伝フ」
※カッコ内は副住職付記

前段の一節からは、重元和尚は遠州(現在の静岡県)の出身であること、應永7年(1400年)に亡くなられていることが判ります。
文中に出てくる開山像や位牌は現存しており、いずれも本堂内右手奥に安置されています。

当山は、もともと現在地の西方、馬場氷川神社の境内にあったと言い伝えられていますが、それを確証づける史料は発見されておらず伝説の域を出ません。
また、円光院は下片山村(現在の畑中)東福寺の末寺で、現在は廃寺となっています。
重元和尚の滅後現在に至るまで21人の僧侶が当山住職であったことが墓誌により認められますが、5代目の元暎和尚が中興第1世、10代目の賢智和尚が中興第2世、以後現在の住職が中興第14世となっています。

 

 

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